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こゝの当主はもう七十近い老人だが、まだ郡制のあつた先年まで郡の医師会長だつた人で、この地方での一二と云はれる有力者でもあつた。それに相当な地主だ。その政治上の勢力や小作人関係などからきている彼の家と患者との関係は一朝一夕になつたものではない。今では老医師の正文は半ば隠居役で、息子の練吉といふ若医師が診察の方はひきうけているのだが、中には「老先生の患者」といふ者もある位だ。
「知吉さんはこれまで散々踏みつけられて来たんだから、自分が戸主になつてみるとこれまでの腹いせといふ気もあるんでせうな」
練吉はさつきから一人で喋つていた。
家の入口には二軒の百姓家が向い合って立っている。家の前庭はひろく砥石といしのように美しい。ダリヤや薔薇ばらが縁を飾っていて、舞台のように街道から築きあげられている。田舎には珍しいダリヤや薔薇だと思って眺めている人は、そこへこの家の娘が顔を出せばもう一度驚くにちがいない。グレートヘンである。評判の美人である。彼女は前庭の日なたで繭まゆをにながら、実際グレートヘンのように糸繰車を廻していることがある。そうかと思うと小舎ほどもある枯萱を「背負枠」で背負って山から帰って来ることもある。夜になると弟を連れて温泉へやって来る。すこやかな裸体。まるで希臘ギリシャの水瓶である。エマニュエル・ド・ファッリャをしてシャコンヌ舞曲を作らしめよ!
「な」の字さんは翌年よくとしの夏にも半之丞と遊ぶことを考えていたそうです。が、それは不幸にもすっかり当あてが外はずれてしまいました。と言うのはその秋の彼岸ひがんの中日ちゅうにち、萩野半之丞は「青ペン」のお松に一通の遺書いしょを残したまま、突然風変ふうがわりの自殺をしたのです。ではまたなぜ自殺をしたかと言えば、――この説明はわたしの報告よりもお松宛あての遺書に譲ることにしましょう。もっともわたしの写したのは実物の遺書ではありません。しかしわたしの宿の主人が切抜帖きりぬきちょうに貼はっておいた当時の新聞に載っていたものですから、大体間違いはあるまいと思います。
「心臓は多少弱つているが、大したことはない。――いゝかね、あんたの身体はもともと丈夫な身体だ。ようく診たがどこも悪くはない」
「はあ、それは――」
「いゝや、まだ」
「どこだ、どこだ。もう消えたのか」
房一はさつき、まだ午飯ひるめしが終り切らないうちに、あのトラホームの婆さんにやつて来られたのである。ちやうどその時、盛子は房一によそつた飯茶碗を渡しながら、何気なく、ふいに、「早いのね、もう一年あまりたつてしまつたわね」と呟いたのであつた。すると房一は、自分では度忘どわすれしていたことを云はれでもしたやうにびつくりし、打たれ、感慨深げに、「ふうむ、さうだ!」と答へ、それでも足りないで、どういふわけか受とつた飯茶碗を手の中で廻しながらそれに見入つて、もう一度「ふうむ」と呟いた。若しこの時、トラホームによつて中断されなかつたら、この「ふうむ」はもつと形を変へて、二人の間ではもつと生き生きした会話がつづいたらう。だが、トラホームがその感慨の深まりと、成長を中断した。房一はそゝくさと飯をかきこんで、診察室に出て来た。この婆さんのトラホームは難症であつた。だが、病気ばかりでなく、婆さんそのものも甚だ難物だつた。婆さんはトラホームといふ病名を知らなかつたばかりでなく、云つて聞かせても、まるで悪名を蒙かうむつたかのやうに、頑固に黙りこんでいたから、治療をうけに通はせるやうに説き伏せるのに骨を折つた。だから、房一はトラホームばかりでなく、婆さんの頑固さにも対抗して、念入りに処置しなければならなかつた。さもないと、次の日から婆さんは通はなくなる恐れがあつたからである。
「あなたは、多分――」